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他でつぶやけばいいのかもしれないが、早くメモっときたいので書いておこう。
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中森明菜が夢に出てきた。その歳は22~26ぐらいの頃で、女性の魅力的にもタレントの存在感としても乗り切った年齢だった。
2,3人でテーブル周りに座ってなにやら話をしてたときに彼女が現れた。私のサングラスを売って欲しいというのだ。なぜか気に入ったらしい。そのサングラスは昔海外旅行で持っていったのと同じサングラスで思い入れがあったタイプだった(しかし旅先で紛失)。
なんか仕事かなんかで近くを通りかかったらしい。それほど派手な仕事用の衣装ではなく、髪型もかなりナチュラルな髪型で化粧も全然濃くなかった。昭和やバブル期のファッションではなく今でも全然不自然ではない格好だった。実際の明菜は小柄だが、あの夢のなかの明菜はずっと大きく見えたし、健康的でずっと肉付きがよかった。輝いていた。リアル世界で見かけたことがない容姿に変わっていた。
まわりの「あれ、中森明菜だよ」という声で、自分も本人であることを確信した。でもなんでここに中森明菜が?と思いつつも、そのオーラと魅力と性格の良さに舞い上がってしまった。夢のなかの自分の年齢はエイジレス、でも20代後半ぐらいなのかなあ。
明菜に両手を握られて満面の笑みでサングラスの交渉をされる。こっちは舞い上がりながら、ちょっと渋ってみた。ずっと手を握られたままである。自分は本気で商売する気はまったくなく、もっと絡みたかっただけだった。明菜の持ち物と交換してもらおうと思い付いた。
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今覚えている夢の印象を無理やり文字化すると上のようになる。言語化しようとすると、かすかに頭に残っている夢のイメージが砕けて溶けてしまうし、よく意味の分からない文章が出来上がってしまう。
まあとにかく、あの笑顔と手を握られて舞い上がってたのだけは確かに印象に残っている。
今は思い出したり曲を聞く機会があるのは年に数回だけど、なぜか夢に出てきた。
そして、気になって仕方がない。
でも今の明菜でもなくむかし見てた明菜でもない、理想化された明菜象だ。
あの夢のなかでの芸能人に感じるオーラや抱く感情って、中学生の頃に持っていた感性と同じだったかもしれない。
今は芸能人と一般人の差をそれほど大きいとは思わなくなってるから、とても新鮮だった。
あの感性…懐かしかった。
あの感性を持ち続けたまま生きられたら、どんなに人生が豊かで楽しいものになるだろうか。
余韻が徐々に遠ざかる今、それを惜しみながら浸っている。
まだ自分の奥底にはあの感性が眠っている、もしくは隠れていることを発見したんだ。
俺はそれを何重にも覆い隠している物を取り除くことができるか?
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中森明菜が夢に出てきた。その歳は22~26ぐらいの頃で、女性の魅力的にもタレントの存在感としても乗り切った年齢だった。
2,3人でテーブル周りに座ってなにやら話をしてたときに彼女が現れた。私のサングラスを売って欲しいというのだ。なぜか気に入ったらしい。そのサングラスは昔海外旅行で持っていったのと同じサングラスで思い入れがあったタイプだった(しかし旅先で紛失)。
なんか仕事かなんかで近くを通りかかったらしい。それほど派手な仕事用の衣装ではなく、髪型もかなりナチュラルな髪型で化粧も全然濃くなかった。昭和やバブル期のファッションではなく今でも全然不自然ではない格好だった。実際の明菜は小柄だが、あの夢のなかの明菜はずっと大きく見えたし、健康的でずっと肉付きがよかった。輝いていた。リアル世界で見かけたことがない容姿に変わっていた。
まわりの「あれ、中森明菜だよ」という声で、自分も本人であることを確信した。でもなんでここに中森明菜が?と思いつつも、そのオーラと魅力と性格の良さに舞い上がってしまった。夢のなかの自分の年齢はエイジレス、でも20代後半ぐらいなのかなあ。
明菜に両手を握られて満面の笑みでサングラスの交渉をされる。こっちは舞い上がりながら、ちょっと渋ってみた。ずっと手を握られたままである。自分は本気で商売する気はまったくなく、もっと絡みたかっただけだった。明菜の持ち物と交換してもらおうと思い付いた。
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今覚えている夢の印象を無理やり文字化すると上のようになる。言語化しようとすると、かすかに頭に残っている夢のイメージが砕けて溶けてしまうし、よく意味の分からない文章が出来上がってしまう。
まあとにかく、あの笑顔と手を握られて舞い上がってたのだけは確かに印象に残っている。
今は思い出したり曲を聞く機会があるのは年に数回だけど、なぜか夢に出てきた。
そして、気になって仕方がない。
でも今の明菜でもなくむかし見てた明菜でもない、理想化された明菜象だ。
あの夢のなかでの芸能人に感じるオーラや抱く感情って、中学生の頃に持っていた感性と同じだったかもしれない。
今は芸能人と一般人の差をそれほど大きいとは思わなくなってるから、とても新鮮だった。
あの感性…懐かしかった。
あの感性を持ち続けたまま生きられたら、どんなに人生が豊かで楽しいものになるだろうか。
余韻が徐々に遠ざかる今、それを惜しみながら浸っている。
まだ自分の奥底にはあの感性が眠っている、もしくは隠れていることを発見したんだ。
俺はそれを何重にも覆い隠している物を取り除くことができるか?
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